映像の世紀 バタフライエフェクト「ハリウッド 夢と狂気の映画の都」
映像の世紀 バタフライエフェクト
17歳の頃に観て、たいへん影響を受けたのが、『映像の世紀』という番組です。
記録に残る映像から紐解く歴史は、
年号を暗記するだけのつまらない科目だった世界史の捉え方を変えてくれました。
現在放送されているのは、『映像の世紀 バタフライエフェクト』
ある一つの事柄から、その影響力の波が広がっていく様子を、蝶々の羽ばたきになぞらえている番組です。
2023年5月15日放送回
『ハリウッド 夢と狂気の映画の都』
では偉人のイメージが変わりました。
日本のジャニーズ事務所問題にもつながるような事柄は、ハリウッド黎明期にもあったということを知ることになりました。
エジソン、こんなことしてたのね・・・
まず、ハリウッド映画の黎明期の歴史的事実に驚かされました。
発明王 エジソン。
彼はエジソン社が開発したカメラと映写機を使った映画に対し、利用料を求めていました。
さらには、アメリカ映画の国内市場の独占のため、映画の製作、配給、興行を独占し、独立系の映画会社を訴訟で追い詰めていっていました。
その結果、ニューヨークを中心とした東海岸では自由に映画制作をすることができなくなってしまったのです。
そこで、自由に映画をつくりたい映画人たちは西海岸を目指しました。
これがハリウッドのはじまりです。
晴れの日が多い、カルフォルニア州、ロサンゼルス、ハリウッッド。
好条件の気候、さらに、海に砂漠に山々があるハリウッドは、映画撮影にもってこいの土地でした。
しかし、激しい爆発の演出や、バイクもろとも人が海に飛び込むような危険な撮影もされており、地元住民には『映画』が受け入れられませんでした。
不動産広告には、”映画人お断り”と書かれるくらい。
偉人伝では、いい話がフューチャーされがちなので、エジソンが
「自分映像機器つくったで! 権利は全てよこしなさい」(なぜか関西弁…) 」と、
意地悪した歴史的事実を知らなかったし、
そのことがハリウッド映画のきっかけであることに驚かされました。
ちなみにエジソンさん、この後もまだまだ映画界に幅を利かせてきます。
踊る エ ジソン じそん 自尊心♪
ハリウッド映画の黎明期
映画が大衆の人気を得るようになったのは、1915年『國民の創生』上映からです。 この、はじめて多くの人に観られた映画が人種差別的な内容で、KKKが大きい団体となるきっかけにもなってしまいました。 視覚、聴覚を集中させ、特別な空間で数時間映像を鑑賞する、という映画は人に影響を及ぼしやすかったのです。 初体験の映画の内容が与えた、人種差別というマイナス面の影響は、社会に反映されてしまいました。 映画人気が定着してきた頃、 映画制作および配給で莫大な利益を得た大手映画会社がハリウッド映画界を牛耳るようになりました。 ワーナー・ブラザーズ メトロ・ゴールドウィン・メイヤー(MGM) パラマウント RKO 20世紀フォックス 通称ビッグ5と呼ばれる5社です。
なぜビッグ5は成功したのか?
そこには、当時ヨーロッパで発揮できなかった商才を映画界で活かしたユダヤ人の存在がありました。 映画は制作、プロモーション、多くの人材を必要とする事業です。 プロモーションの一環として、映画会社は役者にエレガントな振る舞いを教育し、徹底的に指導し管理しました。 素敵な振る舞いをする役者は憧れられる存在になる、というブランディングに成功したのです。 多くの夢見る役者志望の若者が、ハリウッドにオーディションを受けに集まりました。 大盛況となったハリウッドの仕掛け人、ユダヤ人の成功をやっかむ人たちもいました。 ユダヤ人達の映画界大成功を受け入れず、行動を起こした一人が、 自動車王 ヘンリー・フォードです。 なんと、ビッグ5に勝つために、映画会社を設立しました。 ヘンリー・フォードは、エジソンから助言をもらいながら、映画を製作しました。 それは、社会科のビデオのような内容で、鑑賞者を楽しませるようなストーリーはないフィルム。 世界の人々の暮らしが淡々と撮影された記録映像のように見受けられる啓蒙映画でした。 映画としては人気が出ず、ヘンリー・フォードの映画会社はわずか10年で終了しました。 今回、発明王 エジソン、自動車王 ヘンリー・フォードの事業大成功の裏には、 横暴さや人種差別があったことを知りました。 そして、そのことは成功者として名高い彼らの伝記ではみたことのない内容でした。 憧れのハリウッド役者を目指す若者オーディションの選考の闇は、今日本で問題になっていることにも通じるものがあります。