Peter Barakan’s Music Film Festival 2025
現在開催中の
『ピーター・バラカンが選んだ音楽映画フェスティヴァル』
2025年9月12日〜25日@角川シネマ有楽町
『七転八起の歌手 バーバラ・デイン』
とても良かった!
アンコール上映のこの作品は、2023年の映画。
2024年10月20日に、バーバラ・デインは97歳の生涯を終えた。
起伏に富んだ、豊かな人生模様。
芯を貫く姿勢が美しいと思った。
80歳過ぎてからアルバム制作し、コンサートツアーを開催されている。
度胸と勇気は本物
ベトナム戦争に反対し、現地で兵士の前で反戦ソングを歌った。
キューバとの交流
初訪問は1966年。
当時アメリカはキューバと国交を断絶し、政治的には敵対関係にあった。
映画の中で、「こんなおおごとになるとは思っていなかった」
と話していた、バーバラ・デイン。
文化交流と国際連帯のためキューバを訪れていた。
アメリカで国内での音楽活動にリスクを伴う行動であったというが、
この実行力が彼女の生き方そのもの。
幼いときに脳裏に残ったシーン
実家はドラッグストアで、白人向けの商売を営んでいた。
労働者人口の多い時代のデトロイト。
お留守番をしていた、バーバラデイン(当時9歳くらい)は、
親がしているのを真似して黒人の労働者にコーラを店内で提供。
すると、父親が激怒して、その黒人男性を追い出したという。
「こんなことをするな。客が来なくなる。」と
バーバラを叱った。
この時、彼女は差別や不平等ついて身をもって知り、「親の考えは間違っている」と強く感じたそう。
後の公民権運動、労働運動、反戦運動への強い原動力となったという。
チェンバーズ・ブラサーズ
バーバラ・デインは、長きにわたりチェンバーズ・ブラサーズと活動している。
出会いは1964年。
バーバラにとっては、音楽を一緒に演奏するという気持ち。
しかし、メンバーと横並びで撮影した写真は変更を命じられる。
バーバラの周りを黒人歌手が囲んでいる絵に変えた。
レコードジャケットに、黒人と白人が並ぶというスタイルが許可されなかった時代だった。
母親として 妻として
母親として芯の通った行動をした後ろ姿を見ている子どもたちが、それぞれ母親の活動を尊敬している。
息子さんが、
「世界各国で歌を歌う母親を見送るのは寂しかった」
と話していたが、それは無理もないこと。
バーバラ自身が、母業との両立を工夫していて、
「お皿洗いは楽しいよ」というメモ書きが紹介されていたり。
旦那さんが家事を担当していたり。
大変な結婚もあったけれど、自分の心を素直に見つめ、
子供の成長とともに、その時に会うべきパートナーと結ばれて、
母親として、妻としても精一杯生きられたように見える。
女性は元氣をもらえる映画だと思うし、老若男女あらゆる方に観てもらいたいと思う映画だった。